2013年御翼4月号その1

『フクシマのあの日・あの時を語る』福島県キリスト教連絡会編

 東日本大震災が起きて二年になる。福島では、地震・津波・原発の爆発と三重苦だと思ったら、その後、風評被害もあり、四重苦になったという。放射能によってどのような障害が出るのか、もしくは出て来ないのか、はっきりしたことは数年たたなければ分からない。行政も放射能に関して、ちゃんとした情報を流してくれない。
 例えば、郡山で原発事故の講演会に来た講師の先生に「今後、この原発事故で避難しなければならないような最悪の事態というのはどんな時ですか」と尋ねると、その先生は「おそらく一番危険だったのは、今から数週間前だったのではないか」と返答した。数日後、テレビのニュースで、とっくにメルトダウンが起こっていて、それどころかメルトスルーまで起こっていたという発表がなされていた。その報道を聞きながら、自分たちがいざという時に備えていたことは何だったのかと思った。みんながパニックになったら困るという理由で、肝心な情報は流されなかったというが、必要な情報が流されなかったことで、福島の人たちは本当に傷ついているという。哲学者・梅原 猛氏は、天災や人災とういより文明災である、と警鐘を鳴らす。環境を破壊してまで、生活の便利さや利潤を追求することが人類を豊かにするのではない。真の豊かさは、人が支え合う愛を育てることにあるということに私たちは気づくべきなのだ。
 いのちのことば社から『フクシマのあの日・あの時を語る』という本が出版された(二〇一三年三月十一日発行)。これは、福島で被災した牧師たちが書いている証し集である。白河栄光教会の船田肖二牧師の所属する日本イエス・キリスト教団は、関西を中心に教会があり、阪神淡路大震災の時、東と西に拠点を作り、物資を集め、支援活動を行った。その時、何もできなくて悔やんでいる人や、自分のしていることが本当に役に立っているのか悩んでいる人、自分はただ好奇心や、見栄のためにしているのではないかと考えて何もできなくなってしまう人がいたという。
 それに対して、船田先生は以下のように記しておられる。「私が阪神淡路大震災の時に自分の無力さや失敗、あるいは人々の失望や喜びの姿を見て、経験していたからこそ、今回の行動(東日本大震災での支援活動)につながったのかもしれません。そういう意味では今回震災を経験し、何かができたとしても、できなかったとしても、心に感じた悲しみや怒り、喜びや感謝を覚えていくならば、それは必ず次につながるのではないかと思います。支援活動と言っても、百人いれば百人分の必要と助け、あるいは思いがあります。それを知って、被災地の人々の戸惑いや葛藤を、想像力をもって受け止め、その精神的重荷を支えることがとても大切です。それを感じるためには現場でいろいろなことを体験し、時には叱られ、時には逃げ出すことがあっても、何度も人の弱さや痛みを体験することが次につながり、次につながれば失敗や空しいと感じていた過去の経験が、光を放つようになるのだと思います。今回迷惑にならないだろうかと、恐る恐る連絡してきた方もおられました。たとえそれが今は無駄になってしまったとしても、その思いは経験となり、次の行動へとつながっていくことになります。最後に今回、私は自分の足りないことを思うと同時に、神さまの御手の豊かさを感じています。特別な働きはできなくても、だれかを支え、その人が生かされるために関わる、そのような歩みができれば素晴らしいのではないかと思います。この災害によって、いろいろなものを失い、痛みと悲しみを覚えている方々が、神と人々との交わりを通して、光を見いだし、愛されていることを知ることができるようにと願います」と。
 目に見えない放射能という厄介な問題をきっかけに、神は人々が真の命を持つ生き方、即ち神と人、人と人との和解した生き方を、成し遂げようとしておられる。

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